nakwachのお茶会とわたしのネイティヴアメリカン☆インディアン偏愛歴
nakwachのお茶会とネイティヴアメリカン☆インディアン偏愛歴のその3です。
その1はこちら
http://nakwach8esalen.hatenablog.com/entry/2018/01/31/003835
その2はこちら
http://nakwach8esalen.hatenablog.com/entry/2018/02/01/112341
よかったらご一読ください💓
大学の頃は、ネイティヴアメリカンの人のお話会やインディアンフルートのコンサート。またあちこちのインディアンジュエリーショップを見つけては訪ねて行くのが楽しみでした。
でも本当に知りたかったのはネイティヴアメリカンの人達がどんな風に薬草を使っているかシャーマンやメディスンマンのことを知りたかったのですが、なかなかそういうところまで辿り着けませんでした。
私が1番好きな部族は若い頃より変わらずホピ族。
平和の民と言われる部族です。
ホピの戦士は戦いません。平和を護る戦士です。
またイロコイ諸部族の和解の歴史の中、トーキングサークルという平和的なスタイルの話し合いがとても重要な役割をして、のちにイロコイ憲法といわれるアメリカの17条憲法のお手本にされたという諸部族のルールが出来たことを知ったのも学生の頃でした。
大学卒業後もインディアンジュエリーショップの仕事は会社に就職するまで続けました。
ジュエリーショップのオーナーが
『セドナに行くと人生が変わるよ。すごいところだよ。言葉で説明出来ないんだ。いつか行くといいよ』
と言っていたのを最近よく思い出します。
そろそろセドナに行く時かなぁ。
社会人になり、紆余曲折ありながらも私のアロマとハーブとネイティヴアメリカンまたはインディアンへの偏愛は増すばかりで、
ある時、南米のシャーマンの方のお話会にいき、その人の南米聖地ツアーがあり、行こうと思ったら付き合っていた彼氏(今のダンナさん)に全力で止められました。笑笑
その方と撮ってもらった写真は頭の上がグリーンに光っててなんとも不思議でした。
そのうちアロマテラピーに情熱が傾き、…でも時々思い出してはネイティヴアメリカンの本を読み、書店でネイティヴの本を見かけては買い、かけがえのないものになっていたんだなと今思い出すとおもいます。
1997年結婚して、新婚旅行には行かないことになっていました。不憫に思った私の両親が笑笑旅行券をくれました。これで温泉でも行って来なさいと。
とても有難いことだったのですがそれだったら…
それだったら…
ホピに行きたい!!
という私の気持ちひとつで
結婚式の翌日にはアメリカへ🇺🇸✈️
しかもほぼ英語出来ず、地球の歩き方を握りしめての大冒険でした。
とは言っても、途中から現地に住んでいる日本人ガイドの方がホピからサンタフェまでナビゲートしてくれたので安心でした。
フェニックスから西へ西へ。車で砂漠地帯を走り、途中ここを曲がるとセドナよ。ガイドの方に言われました。
セドナは行きたかったのですが、ダンナさんのお休みの都合で行けませんでした。
ジュエリーショップのオーナーが
セドナは素晴らしいところ。行ってみたらわかる。人生変わるよって言ってたなーと思い出しながら通過しました。
初めて行ったホピランドというかホピの地に行くまでずーっと車窓は赤土の大地。
ホピの大地はとても静かで、太陽と赤い大地と風が歌っていました。
そこに立つ小さな人の私達。
広いなー海みたいだなーと思いました。
私の故郷。茅ヶ崎の海岸で1人で海風に吹かれている時と似た、でももっと大きな開放感というか安心感というか、懐かしい感じを覚えました。
もう20年前の話です。
セドナには行っていないけれど、私の人生観を大きく変えた旅だったことに間違いはありません。
その時ホピの1stメサで買ったホピの素焼きのpotteryとカチーナは今も宝物です。
なんでアロマに傾倒してたのにいきなりホピ族のとこに行ったかなーとも思いますがタイミングだったのでしょう。
家族も友達もインディアンジュエリーショップのオーナーもみんなびっくりしていました。。
ダンナさんよくついてきてくれたとおもいます。笑笑
その頃には、ネイティヴの叡智はすでに私にとって日常にあるものだったので、
子どもが生まれるとネイティヴの絵本も増えました。でも今は子どものためというより私のためのコレクションになっています笑笑
2008年に再びアロマセラピーを学び始めて、
エサレン族の聖地で生まれたエサレンボディーワークの話を聞けば聞くほど、私がやりたかったことだと思いました。
でも合宿型の学びなので、子育て終了したあと、50代以降のお楽しみかなーとぼんやり思っていました。
京都に来て数年後、エサレンボディーワークの説明会で質問したら、その時のエサレンのティーチャーは言いました。
「君もエサレンに来たらわかるよ。」と
その翌年くらいには私の恩師シャーピアスのシャーマニックジャーニーというWSがあり、久しぶりにふれるネイティヴの世界の叡智にどっぷり浸り幸せを感じました。そしてシャーが一度会っただけで大好きになりました❤️
そこから私のエサレンに行きたい。ネイティヴの叡智に触れたい気持ちがエスカレートして家族の協力を得て、
2012年秋からの関西エサレンマッサージ認定コースに参加しました。
若い頃買って大事にしまっていたメディスンアニマルカードを久しぶりに使い始めたりしたのもこの頃。
認定コース中のエサレン族のお話やスウェットロッジ、シャーのドラムやインディアンソングのサークルはとても大切な思い出になっています。
シャーのサークルは、いつもとても深く魂を揺さぶられる温かなサークルでした。
エサレン研究所にはエサレン族が昔住んでいたエリアと言われる神聖な場所があります。
私はそこに時々ひとりで行って過ごすのが好きでした。樹が光がとっても優しくて。
エサレン研究所にまた行けたら、真っ先に行って、そこの樹たちに挨拶したいと思っています。
スウェットロッジの儀式前に光に包まれたのと儀式前にお清めをしてくれた方から言われた言葉は私の宝物です✨
エサレンの学びは私にとって、リアルな実感も伴ったネイティヴの叡智の学びでもありました。
エサレンボディーワークの認定を受けた一年後。私は病氣になってしまい、1年ほどお休みしました。
その頃いろいろなサポートをいただきました。そしてネイティヴの叡智とエサレンでの経験は、大きな心の支えとなりました。
元気になったらネイティヴアメリカンのスピリット溢れるセッションをしていきたいと心に強く思ったものです。
エサレン族の聖地だったエサレン研究所には温泉があります。
南西カリフォルニア諸部族の湯治場のようなところで、エサレン族の女性は植物を使ったヒーリングをしていたそうです。
なので、アロマやフラワーエッセンスをエサレンボディーワークに私が使う時、何かエサレン族のスピリットと植物のスピリットがぐっと繋がりダイナミックに働いてくれる感じがして私はとても大好きなセッションです😊
エサレンボディーワークを学びはじめたことでネイティヴの叡智を私なりに届ける道がひとつ開かれました。
2つ目の道は…また次に書きます!!汗
よかったらお付き合いください💓